プロフィール/ごあいさつ

諏訪山発明研究所 池田浩一

【プロフィール】

研究所主宰 池田 浩一

 

高校3年から大学卒業時まで舶用内燃機の販売業を自営。

1983年 大阪府立大学工学部卒業。同年、地元市役所入庁。

循環型社会推進室長や環境保全部長などを経て

2016年環境局長。

2020年 定年退職後、諏訪山発明研究所設立。

 

(趣味)‥がらくた工作、原付ミニカーなどの超小型モビリティ、

バイク、エンジン等を愛好。山歩きや街歩きなど。

【ごあいさつ】

 

市職員として37年間、環境行政に従事させていただきました。本当にやりがいのある仕事を与えていただいたと思っております。

50代後半に山折哲雄氏(国際日本文化研究センター名誉教授)のお話しで「林住期」という古代インド人の考え方を知り、定年後の人生ステージでは、これまでできなかった好きなことを自由にやっていきたいと考えるようになりました。

 

子供の頃からの夢

私は子供の頃から理科好きで、科学者・発明家になりたいという夢がありました。しかし、高校3年生の夏に脳梗塞による認知症を発症した父に代わり家業を引継ぎ、1年浪人したあと物理学科への道を諦め、自宅近くの大学に進みました。

 

市役所に就職して公害・環境保全行政に従事

在学中は家業と二足の草鞋でしたが、卒業後は地元市役所の技術職員になりました。市役所では公害対策部局に配属され、環境監視や企画を数年経験した後、大気規制担当として、工場・事業場の公害対策業務に就きました。市内臨海部にはエネルギーや石油化学、金属、機械など大手企業の工場が集中し、内陸部には地場産業をはじめ金属加工、繊維関係など多くの中小企業があります。業務では法令に基づいてそれらの工場に立ち入りし、工程等を確認して設備や排出ガスの観点から必要な規制指導を行いました。

多種多様な製造現場に入り、技術的な意見を述べ合える業務に従事できたことは行政ならではの仕事であり、物づくりについての知識がどんどん増え、楽しみでなりませんでした。

 

また、一方では悪臭やばい煙などの公害苦情の対応がありました。時によっては感情問題に発展したり、解決が長引く場合など、行政不服になることもあります。苦情対応では、法令や技術的な知識は豊富に持っておくことは当然ですが、現場に何度も足を運び現状を正確に把握し、相手の立場に立って最善の道を考える、汗をかくことの重要性を学びました。

 

 

産業廃棄物行政を長く務める

産業廃棄物行政は担当者から管理職まで一番長く従事し、処分業許可や施設許可、行政処分、訴訟など様々な経験をしました。廃棄物処理施設は社会活動を支える基盤として重要な存在ですが、環境面に十分な配慮を行う必要があります。立地場所が工業系地域でなく近隣に住家がある場合は往々にして問題が生じることもあります。年々、法律が強化されましたが、当時はまだ不適正処理事案も多く、時には行為者と厳しく対峙しました。

また、法解釈のアドバイスをもらうために、顧問弁護士の所には頻繁に足を運び、色々な事案で助言をいただきました。とても勉強になり、目から鱗のアイデアに窮地を救われたこともあります。

当時の産廃行政は、次々と様々な事案が発生し緊張の場面も多くありましたが、仕事においては人と人との信頼関係が何より重要であることも学びました。

 

その後、環境部局では長くマネジメント職も務めましたが、部下からの相談・報告も、実務者としての現場経験がとても役立ちました。

 

地球環境問題とその難しさ

入庁数年目に吉良竜夫先生(琵琶湖研究所初代所長)や四手井綱英先生(京大名誉教授)の講演を聞き両氏に憧れを持ち、エコロジーの問題に目を開かされました。

その後、市の環境行政としても自然共生や資源循環、環境教育、生物多様性、地球温暖化問題への取組み、そして環境・経済・社会問題の同時解決へのアプローチというように時代が進んできました。

 

地球環境の危機は、より良い暮らしをしたいという生物としての真っ当な欲求に根差しているもので、一人ひとりの負荷は小さくても膨大な人口で行われるため地球の環境容量を超えてしまうところに問題の難しさがあります。

 

仏教(ブッダの教え)を知る

地球温暖化問題は人のライフスタイルや価値観が大きく影響しています。その解決の糸口が「足るを知る」といった古来の東洋の英知にあるのではないかとの思いがずっとありました。そしてあれこれ古本などを読み、直接環境問題とは関係しないものの、私が一番すとんと腹に落ちたのは初期仏教、ブッダの教えでした。凄いの一言。これは宗教というよりも心の真理を表した物理学ではないかと感心しました。

 

皆が幸せな持続可能社会になるには、技術や経済のグリーン化だけでは不十分だと思っています。環境面では地球の限界を知るとともに、貪欲から離れて心が落ち着く、心が楽になる、幸せになるべく常識を変えていくことが必要だと考えています。世界には多くのものの見方があり、考え方は人により様々でしょうが、私自身はブッダの教えに憧れを持っています。

 

ブッダの教えについては、理系出身学者からもいくつか本が出されています。私も入り口はそういった本を読んだり、テレビ番組を見たことからです。

しかし、執着や怒りの元となる煩悩や貪欲を手放すことで結局は心の楽につながるということが、頭で分かっていても、実際には心はなかなかその通りにはならないもの。

煩悩まみれで無明状態の私は心の落ち着きを得るため、そして知識を知恵にするため、仏法についての法話なども聴きつつ学びを深め、今後は日常でできる呼吸法や瞑想を試していきたいと思っています。

 

やっぱり発明家的なこともやりたい

話しは脱線しましたが、職員として業務にやりがいを感じていても、どこかに発明家になりたい気持ちが動き出し、当時始まった環境啓発イベントなどに使ってもらおうとエネルギーや廃棄物の問題に因んだ様々なおもしろ装置を考案、休日や夜間に楽しく製作しました。

 

平成4年頃からはソーラー自転車などを製作し、市のイベントPRと合わせて幾度か新聞やテレビで取り上げていただいたことがあったのは、人生の彩りとなりました。また、製作した環境ロボットや人力発電機などは他行政やNPO等の環境イベントにも貸出して活用していただきました。これらの取組みが、後日の思いもかけない「大阪環境賞(平成17年 個人 大賞)」の受賞につながったことは身に余る光栄でした。

 

長年、環境行政に従事させていただいたおかげで、公害対策から始まり、廃棄物の問題や環境教育、再エネの普及、生物多様性問題や気候変動問題、最後は海洋プラスチックごみ問題やSDGSの達成を目指す動きの中に身を置くことができました。

 

定年を迎えて

市役所勤務では、職場の仲間を始めご縁をいただいた多くの方々に本当にお世話になりました。人とのふれ合いは一番の思い出です。心から感謝の気持ちでいっぱいです。

 

定年を迎えて始めた“なんちゃって一人研究所”ですが、環境負荷の低減に少しでも資するような機器や科学心を刺激する楽しい機器の開発を目指すと同時に、これまでの経験を生かして何らか人のお役に立ちたいと考えています。

さらには「無明」状態の自分が少しでも心の楽となる「明」を見つけて、できれば人にも発信することを目指したいと言う願いを込めて「発明研究所」としました。

 

「発明研究所」に冠した諏訪山は戦前に母の生家があった場所であり、生前大変懐かしがっていたことから、もし私が自分で事業等をするならこの地に事務所を設けようと思っていたことを、遅ればせながら実現するものです。

 

当面は、諏訪山山麓に借りた部屋を拠点とするつもりです。狭い室内には自然エネルギー学習デスクやソーラー給電ロボットなどを置き、秘密基地風です。

 

週の半分近くは大阪で農業のまね事をしたり、ガレージでガラクタ工作をしたりしていますので、いわゆる「半農半X」です。何か相談や依頼があっても収益にはならないでしょう。売れる発明もなく、下手をすれば独り善がりの発明貧乏になるかも。

趣味で気ままにやっている内に、何かの拍子で納税ができるようになれば有難いと秘かに思っています。

 

好きな言葉

『ちょっと考え方が変わっただけで人間は幸福になっていくことができる』

『人生で大切なのは心の支えになる大好きなものを見つけること』

『幸せはいつも自分の心が決める』